賃上げ限界時代を生き抜く!中小企業のための「給与に頼らない」人材不足対策【三上康一講師コラム】

賃上げ限界時代を生き抜く!中小企業のための「給与に頼らない」人材不足対策
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執筆講師

株式会社ロードサイド経営研究所代表取締役
近年、日本経済を襲う人件費の高騰と深刻な人手不足は、特に経営資源の限られた中小企業にとって、もはや存続に関わる脅威となっています。大企業との間で広がる賃金格差は深刻ですが、低利益率の中小企業が、その格差を埋めるための大規模な賃上げを継続的に行うのは現実的に不可能です。
一時的な昇給は可能であっても、持続的な高水準での賃金競争を大企業と続けることはできません。また、求職者の多くはまず給与水準をチェックするため、「給与が低い=企業規模が小さい」という図式で応募の段階で敬遠されるケースが増加しています。
もはや、中小企業の経営者は、「給与の増加」という一辺倒な方法だけで優秀な人材を確保・維持することは不可能であると認識し、戦略を転換する必要があります。
■非金銭的価値への投資で「エンゲージメント」を高める
限られた経営資源の中で人材流出を防ぎ、生産性を高めるために、中小企業が緊急で取り組むべきは、従業員の「エンゲージメント」(企業への愛着心と貢献意欲)を最大化することです。
これは、お金に依存しない「非金銭的価値」、すなわち「この会社だからこそ働きたい」と思わせる独自の魅力を創出するための戦略的なアプローチです。
具体的には、以下の3つの非金銭的要素への投資を強化することが急務となります。
1.働きがい(仕事の意義・達成感): 従業員が自分の仕事に意味を見出し、貢献している実感を持てるように、裁量権の拡大や重要なプロジェクトへの参画を促す。
2.成長機会(スキルの向上・キャリアパス): 規模の小さい組織だからこそ実現できる多岐にわたる業務経験や、外部研修・資格取得支援など、明確なスキルアップの道筋を提供する。
3.心理的安全性(安心して発言できる環境): 失敗を恐れずに新しい提案や意見を言える、オープンで信頼性の高い組織風土を醸成する。
中小企業は、これらの非金銭的価値を武器に、従業員一人ひとりが主役になれる環境を提供することで、賃金格差を乗り越え、競争力を高めることができるのです。そこで今回はマズローの欲求5段階説を取り上げ、エンゲージメントの向上策を検討してみます。
本題に入る前に、なぜ私がこのテーマを取り上げるのかを述べていきます。
■私の失敗と気づき:現場の経験が証明する理論の力
私はガソリンスタンドの運営会社に21年間勤務し、そのうち13年間は店長として現場を管理してきました。店長になりたての頃は、部下のモチベーションをどう高めればいいのか分からず、厳しい叱責に頼ってしまい、結果として人間関係がぎくしゃくしてしまったこともあります。
転機となったのは、中小企業診断士の資格取得を目指して勉強を始めた時でした。そこで出会ったのが「マズローの欲求5段階説」をはじめとするモチベーション理論です。これらを現場で実際に活用してみると、部下の意欲は目に見えて向上し、その成果は売上や業績にもつながっていきました。
現在は中小企業診断士として、企業や経営者の皆さまに従業員のモチベーション向上策をお伝えする機会が増えています。今回「マズローの欲求5段階説」をご紹介するのは、私自身が現場で実感した“効果のある理論”をより多くの方に活用していただきたいからです。
■モチベーション理論の羅針盤:マズローの欲求5段階説とは
アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した「欲求5段階説(自己実現理論)」は、人間の欲求が以下の5つの階層に分かれ、低次の欲求が満たされると、より高次の欲求を追求するという理論です。
・第1段階「生理的欲求」
食事、睡眠、休息など生命維持のための基本的な欲求。
・第2段階「安全欲求」
経済的安定、健康、安心して働ける環境を求める欲求。
・第3段階「社会的欲求」
組織への所属、仲間との交流、孤独ではない状態を求める欲求。
・第4段階「承認欲求」
他者からの評価、賞賛、認められたいという欲求。
・第5段階「自己実現の欲求」
自分の能力を最大限に発揮し、目標や夢を実現したいという欲求。
中小企業の経営者は、この理論に基づき、「個々の従業員が今、どの欲求段階にあるのか」を理解し、その段階に応じた施策を講じる必要があります。では、以下で限られた原資で最大の効果を出すため、従業員の経験年数や役割に基づいた、具体的なモチベーション向上策を提案します。
■マズロー理論に基づいた中小企業のためのモチベーション戦略
【新人・若手層】基盤となる「安心」と「所属」を満たす(安全・社会的欲求)
新人・若手層は、まず「この会社で安心して働けるか」という基盤を求めています。そこで、安全欲求と社会的欲求を満たすことを意識します。具体策としては以下が挙げられます。
安全欲求
・業務マニュアルの完備:未経験でも作業を標準化し、「ミスしても大丈夫」という心理的安全性を提供。
・残業の抑制と健康管理:休息と安全を確保するため、休憩時間や有給取得を経営者自らが奨励し、模範を示す。
社会的欲求
・メンター制度:年の近い先輩が、業務外の相談に乗る仕組み。組織に受け入れられている感覚(帰属意識)を早期に醸成する。
・ランチミーティング費用補助:仲間との非公式なコミュニケーションを促進し、居心地の良さを創出する。
【ポイント】
新人の離職理由の多くは「不安」や「人間関係」です。高給でなくても、「ウチの会社は人が温かく、安心して成長できる」という評判を作ることが最優先です。
【中堅層】「承認」と「能力発揮」で意欲を引き出す(承認欲求)
業務に慣れ、責任感も出てきた中堅層は、自分の頑張りが正しく評価されることを強く望みます。そこで、承認欲求を満たすことを意識します。具体策としては以下が挙げられます。
行動プロセスへのフィードバック:結果だけでなく、「今日はクライアントへのヒアリングに時間をかけたね」「新しい営業資料を工夫して作っていたね」など、努力や工夫を具体的に承認する。
表彰の機会創出:給与に連動しない「社長賞」「アイデア賞」などを設け、全社的に努力を可視化する場を設ける。
【ポイント】
中小企業では、経営者や上司の「個別の声かけ」が最大の報酬になります。中堅層の離職は組織への打撃が大きいため、彼らの貢献を「当然」とせず、意図的に承認することが不可欠です。
【ベテラン・リーダー層】「自己実現」の機会を提供する(自己実現の欲求)
経験豊富なベテラン層は、自身のスキルを活かし、より大きな影響力を持ちたいと願うものです。そこで、自己実現の欲求を満たすことを意識します。具体策としては以下が挙げられます。
・「得意分野集中」と「自己決定権」の付与:本人に「最も熱意を持てる業務」や「挑戦したい分野」を選ばせ、目標設定や進め方を大幅に任せる(例:新規事業の立ち上げ担当、部署横断プロジェクトのリーダー)。
・後進育成への役割付与:OJTや教育プログラムの設計・実行を任せることで、「自分の知識が会社の未来を作っている」という貢献感と存在意義を与える。
【ポイント】
ベテランは、給与よりも「仕事のやりがい」を重視するものです。彼らが持つ知識やスキルを社内に還元させる「仕組み」を作ることが、組織全体の成長とモチベーション維持に繋がります。
■モチベーション向上策のまとめと持続的成長のために
中小企業が人材不足時代を生き抜く鍵は、「金銭的な競争」から脱却し、「人間的な欲求を満たす競争」に舵を切ることです。
マズローの欲求5段階説は、そのための道しるべとなります。
賃上げの原資が限られる中小企業でも持続的な成長を実現している企業は、以下の共通点を持っています。
・「非金銭報酬」の最大化:給与は業界水準を大きく下回らないよう努力しつつ、「職場の人間関係の良さ」や「仕事の面白さ」といった非金銭的価値を徹底的に高めている。
・「対話」を投資とみなす:経営者や管理職が、従業員一人ひとりの「今、何を求めているか」という欲求の段階を理解するための個別面談やフィードバックを、最も重要な業務として時間を投資している。
・「機会」の平等な提供:経験年数や役職に関わらず、成長や挑戦の機会を積極的に提供し、従業員が自身の役割を超えて貢献できる環境を作っている。
給与競争に疲弊するのではなく、「社員の心を動かし、エンゲージメントを高める」という本質的な経営努力こそが、中小企業が生き残るための最も賢明で持続可能な戦略なのです。
中小企業の強みは、経営者の顔が見える距離感、そして個人の影響力が組織全体に及ぶダイナミズムです。この強みを最大限に活かし、「社員の心を動かし、エンゲージメントを高める」という本質的な経営努力こそが、大企業とは違う土俵で勝ち、人材不足という波を成長の追い風に変える最も賢明で、持続可能な戦略となると言えるでしょう。

執筆講師

株式会社ロードサイド経営研究所代表取締役




