「善意」で回る職場は、なぜ突然崩壊するのか?新幹線の「譲り合い論争」に潜む離職の正体【三上康一講師コラム】

新幹線の「譲り合い論争」に潜む離職の正体
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執筆講師

株式会社ロードサイド経営研究所代表取締役
昨年の大みそかの帰省ラッシュのさなか、新幹線の自由席で起きた出来事が注目を集めました。先日報じられた、ある会社員Nさんの体験談は、人の善意に頼る場面の裏側に潜む、言葉にされにくい不満を浮き彫りにしています。
Nさんは、新幹線の車内で小さな子どもを連れた母親から懇願され、ご自身が座っている窓側の席を譲ろうとしました。通路側に座っていた男性も同様に席を立つ意向を示しましたが、その一方で、3人掛けの中央に座っていた男性は、強い不満をにじませました。
「そんなことをされたら、結局こちらも譲らなければならなくなりますよね。座りたいのであれば、早めに並ぶべきではないでしょうか」
この発言は冷淡に聞こえるかもしれません。しかし実際には、自分なりに準備し、正規の手順を踏んできたにもかかわらず、他者の事情によってその努力が無効化されてしまうことへの戸惑いや反発を、率直に表したものだと言えるでしょう。
この新幹線での「譲る・譲らない論争」は、実は多くの職場で日常的に繰り返されています。席がない新幹線の自由席は、恒常的にキャパシティを超えた職場の比喩であり、席を探す母親は緊急性の高い未処理業務、席を譲る乗客は善意で業務をカバーする社員に置き換えることができます。
そして、不本意ながら席を譲らざるを得なかった乗客の不満こそが、人手不足の時代に社員を離職へと追い込む、組織の根本的な病巣なのです。
本稿では、「部下の善意」を前提にしたマネジメントが、いかにして人手不足と離職を加速させるのかを明らかにし、そこから脱却するための具体的な対策を提示します。
参考:TRILL「新幹線で「窓際がいい!」と騒ぐ子ども…正規料金で買った客が抱いた“罪悪感”に「譲ってあげる」の声多数」

1.「誰かがやってくれる」は、いつか必ず破綻します
なぜ高額な料金を支払っているにもかかわらず、新幹線では「譲り合い」という半ば強制的な行為が発生するのでしょうか。それは、需要に対して供給、つまり座席数が圧倒的に不足しているという構造的な問題があるからです。
人手不足の職場も同様です。業務量に対して人員が足りていない状態では、「誰か手が空いていないか」「これをお願いできないか」という声が頻繁に挙がります。
その際、手を挙げるのは決まって、責任感が強く、周囲に気を配り、断るのが苦手な社員です。彼らは自分の本来業務に加え、誰の担当でもない業務を引き受けます。こうした業務は表に出にくく、上司から見ると「問題なく回っている」ように見えてしまいます。
しかし、善意は無限ではありません。善意によるカバーが常態化し、正式な業務として扱われない状態が続けば、社員は確実に疲弊していきます。そしてその疲弊が退職に結び付く理由は3点あります。
2.善意で回る職場が、静かに壊れていく3つの理由
①疲弊と燃え尽き
善意で業務を引き受け続ける社員は、残業や持ち帰り仕事が増え、心身の余裕を失っていきます。その結果、最も優秀で責任感のある人材から先に燃え尽き、離職してしまいます。
②不公平感の蔓延(まんえん)
カバー業務を引き受ける人は、引き受けない人に対し、「なぜ自分ばかりが」という感情が生まれます。真面目に働く人ほど損をする構造は、組織全体の士気を下げ、人間関係を悪化させます。
③上司のマネジメント能力の低下
部下の善意によって業務が回ってしまうと、上司は人手不足の深刻さを正しく認識できなくなります。その結果、業務の見直しや人員調整といった本来果たすべき役割を先送りにし続けてしまいます。
このような理由で壊れていく組織のリーダーがとりがちなパターンをご紹介します。
3.善意を搾取する上司の行動パターン
人手不足を悪化させる上司には、共通する行動があります。
①業務の「自由席化」:担当を決めず丸投げする
業務を曖昧にしたまま放置し、「誰かお願い」と丸投げしがちです。 担当者も期限も決まっていない業務は、結局、断れない社員に集中します。これにより、特定の社員にのみ負荷が偏り、「また私がやるのか」という不満の温床となります。
②感謝の「口先払い」:評価と報酬を伴わないねぎらい
感謝の言葉で済ませ、評価や報酬に反映しないことです。「助かった」「ありがとう」という言葉は重要ですが、善意による労働が「評価されないボランティア」と見なされた瞬間、社員の組織への信頼は大きく損なわれてしまいます。
③リスクの放置:「できる人」への無責任な過信
頑張りすぎている部下を見て見ぬふりをすることです。「あの人はできるから大丈夫」と無責任に判断した瞬間、その部下は離職に一歩近づきます。上司がキャパシティの限界サインを見逃し、疲弊を放置することは、最も優秀な社員の流出を招く行為です。
このような上司は、部下が辞めるときにこう口にします。
「何か不満があったなら、言ってくれればよかったのに」
しかし実際には、善意で職場を支えてきた社員ほど、不満を口にしません。その理由についてみていきます。

4.部下はなぜ不満を言わずに辞めていくのか
善意で職場を支えてきた社員は、「自分が我慢すれば済む」「ここで問題提起をしたら、さらに職場が回らなくなる」と考えてしまいます。
また、上司が日常的に「助かった」「ありがとう」と声をかけている場合、部下はなおさら本音を言いづらくなります。感謝されている手前、「もう限界です」とは言えないのです。
こうして善意は沈黙に変わり、沈黙はある日突然の退職という形で表に出ます。上司から見れば「前触れのない退職」ですが、本人の中では何度も心の中でSOSを出し、それが無視され続けた末の決断なのです。
ここまで読むと、「善意に頼らない職場は、冷たくドライなのではないか」と感じる人もいるかもしれません。しかし、それは逆です。
善意に依存しない職場とは、誰かの優しさが消耗品として使われない職場です。困ったときに助け合う文化を否定するのではなく、「助けなくても回る状態」を前提として設計された組織だと言えます。
仕組みが整っているからこそ、本当に必要な場面での助け合いが感謝として残り、強制や罪悪感を伴わずに済むのです。善意を守るためにこそ、善意に頼らない仕組みが必要なのです。
5.人手不足時代に求められるのは「善意」ではなく「設計」です
そのような仕組みを作り上げるためには、業務を新幹線の全席指定のように、明確で公平な形に設計し直す必要があります。
まず、すべての業務を洗い出し、誰がどれだけの業務を抱えているのかを可視化します。善意によって成り立っている業務を明らかにし、特定の人に負荷が集中しないよう再配分します。
次に、上司自身が「これ以上は引き受けられない」と外部に対して断る役割を果たすことが重要です。部下の善意で無理を重ねることは、短期的には楽でも、長期的には組織を壊します。
さらに、やむを得ず発生したカバー業務については、正当に評価し、報酬や査定に反映させる仕組みを整える必要があります。
6.まとめ
善意で回る職場は、一見すると温かく、人間味があるように見えます。しかしその実態は、特定の社員の犠牲に依存し、いつ崩壊してもおかしくない非常にもろい「砂上の楼閣」にほかなりません。
人手不足の時代において、管理職が犯しがちな最大の過ちは、「善意の搾取」を組織文化として許容してしまうことです。しかし、その甘えが、最も優秀で責任感の強い人材を静かに追い出し、結果として組織全体の生産性を根こそぎ奪い去ってしまうのです。
私たちが目指すべきは、「いい人が頑張る組織」ではありません。「誰も無理をしなくていい仕組み」が前提にある組織です。新幹線の「全席指定」が示すように、業務設計において「見えない座席(カバー業務)」をゼロにするという哲学が必要です。困ったときに助け合う文化は大切ですが、それは「緊急時のオプション」であるべきであり、決して「恒常的な業務設計の一部」として組み込まれてはいけません。
部下の善意を当たり前だと考えるマネジメントから脱却し、組織を持続させる覚悟を持つことが求められています。それは、仕組みによる公平性の確保、負荷の可視化、そして外部からの過度な要求に対する上司の「断る」勇気です。
これらの「ドライな仕組み」を構築する努力こそが、真の意味で社員のエンゲージメントを高め、安心して腰を据えられる「指定席」のある職場を整えます。人材の流出を防ぎ、人手不足の時代を勝ち抜くための最も重要な一歩は、あなたの決断から始まるのです。

執筆講師

株式会社ロードサイド経営研究所代表取締役




