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佐藤 義則 さとう よしのり プロフィール

佐藤義則(さとうよしのり)氏プロフィール

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略歴

1954年北海道生まれ。函館有斗高校から日本大学へ進み、1977年にドラフト1位で阪急へ入団。
ルーキーイヤーから阪急のリーグ優勝、日本一に大きく貢献し新人王に輝く。
1978年 2年目にして13勝8敗1Sの好成績。チームもリーグ連覇を果たす。1981年 椎甲板ヘルニアで投手生命の危機に立たされる。選手登録を抹消されて1軍登板も無く、 任意引退選手となる。
1982年 練習生から復活し、主にリリーフで4勝2敗13セーブを残し復活を遂げる。
1984年 先発に復帰し17勝6敗1S136奪三振。奪三振王に輝き、チームは6年ぶりにリーグ優勝。
1985年 21勝11敗の成績で最多勝に輝き、188奪三振は2年連続の奪三振王でもあった。
1986年 14勝6敗1S、防御率2.83で最優秀防御率のタイトルを獲得。
1987年 プロ11年目にして開幕投手を務める。
1994年 通算150勝を達成する。
1995年 近鉄戦では40歳11ヶ月という(当時)史上最年長 でのノーヒットノーランを達成。同年 オリックスブルーウェーブに改称後、初のリーグ制覇。
1998年 通算500試合登板を果たすも、現役を引退。
【通算成績】165勝137敗48S 防御率3.97 1755奪三振
【獲得タイトル】新人王(1977)、最多勝(1985)、最優秀防御率(1986)、最多奪三振(1984、1985)、ノーヒットノーラン(1995)

引退後は、1999~2001年古巣オリックス、2002~2004年阪神タイガースの投手コーチを歴任。
2003年 阪神の18年ぶりの リーグ優勝に大きく貢献。
2005年 地元・北海道日本ハムファイターズの投手コーチに就任。防御率リーグ5位であった投手陣を鍛え上げ、2006年に北海道移転後リーグ初優勝。
2007年 球団初となるリーグ連覇。ダルビッシュら若手の育成に力を注ぎ、リーグ屈指の投手王国を築く。
2009年 野村克也監督に「日本一の投手コーチ」と称され、楽天に入団。田中、永井らを育成し、球団史上初のクライマックスシリーズ進出を果たす。2014年 楽天を退団。
2015年 ソフトバンクに入団。2回のリーグ優勝と日本一に貢献。2017年退団。
2018年 楽天の投手コーチを務める。2019年退団。

 

講演テーマ

ダルビッシュ、田中将大を育てた人材育成論

講演概要:
現役時代は、阪急・オリックスの全盛期をエースとして支えた。
1995年の阪神大震災の年には「がんばろう神戸」をスローガンにチームが優勝する中、自身が40歳の時に最年長ノーヒットノーラン(当時)を達成する等、感動を与えた。
引退後は指導者として、野球をやっていない人でも分かるように理論・セオリーをかみ砕き、分かりやすく言語化するコーチングを行い、各球団から高い評価を得て数球団を渡り歩く。あの、故・野村克也監督は「日本一の投手コーチ」と称賛した。

日本ハムではダルビッシュ有投手の才能を引き出し、楽天では田中将大投手を「超一流」に育て、ソフトバンクでは12球団一の投手陣を作り上げた。
それのみならず、目立たない投手・埋もれていた投手を発掘し、数多くの選手の良いところを引き出し才能を開花させた。
若手からベテランまで「ヨシさん」と親しみを込めて呼び、その人心掌握術、長所の見つけ方、伸ばし方を語る。

※新人研修や中間管理職の育成など幅広く対応可能

一流人材の育て方~伸びる人材、伸びない人材の違いと伸ばし方~

名投手育成職人、優勝請負人が語る人材育成と長所の伸ばし方

 

書籍

『絶対エース育成論―なぜ田中将大は24連勝できたのか?』(竹書房 2014年)

 

 

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    #佐藤義則,#さとうよしのり

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