植田 辰哉 うえた たつや プロフィール

植田辰哉(うえたたつや)氏プロフィール

略歴
大学卒業後、新日本製鐵(現、堺ブレイザーズ)に入社。センタープレーヤーとして、新人賞、ベスト6(5年連続)、ブロック賞、スパイク賞など数々のタイトルを獲得。日本代表としても活躍し、1992年のバルセロナオリンピックには主将として出場。6位入賞に大きく貢献した。
1998年に現役を引退した後は、新日鐵、日本代表ジュニアチームの監督を歴任し、2005年に日本代表監督へ就任すると、2008年の北京オリンピック世界最終予選でアジア1位を勝ち取り、16年ぶりに日本代表をオリンピック出場へと導いた。出場権を獲得した瞬間、コートへ倒れこみ男泣きした姿は日本中に大きな感動を与えた。
代表監督を退任後は、早稲田大学大学院(平田竹男研究室)へ入学し、世界の強豪・ブラジルバレーの強化策などを研究。修士課程を取得し、現在は大阪商業大学公共学部公共学科教授を務める。また、組織マネジメント力をテーマにした講演会には定評があり、企業の経営層やスポーツ指導者から多数の講演依頼が寄せられている。
主な競技歴
1989年 アジア選手権大会準優勝、ワールドカップ 6位
1991年 アジア選手権大会優勝、ワールドカップ 4位
1992年 バルセロナオリンピック 6位
受賞歴
1987年 日本リーグ新人賞
1988~1992年 日本リーグベスト6 ※5年連続受賞
1990、1993年 日本リーグブロック賞
1991、1992、1994年 日本リーグスパイク賞
2007年 Vリーグ栄誉賞
講演テーマ
リーダーとしての組織マネージメント
想定する受講者:
労働組合 組合役員の方々
(職場委員、分会長、職場代表・・・など代議員の皆さん)
提供する価値・受講者へ伝えたい事:
●男子バレーボール日本代表監督として、強烈なリーダーシップで16年ぶりのオリンピックへ導いた闘将がアツく語ります!!!
●五輪最終予選にて、オリンピック出場を勝ち取り、男泣きした姿は日本中に大きな感動を与えました。講演会は抜群!です。
講演概要:
チームワークアップの為にコミュニケーションを図っていこうというような単純なものではありません。
「人間力の底上げ」を重点において、コミュニケーションの強化を図った。試合以外の時間でも、挨拶など小さいところか ら、積極的にお互いが係わり合い、メンバー同士が信頼し尊敬し励ましあう、そんなチームを作った。
そうすることで、今まで他人のプレーに興味を示さなかった選手が、「ありがとう」と、相手のプレーを称えるまでになった。
その場だけの表面的なコミュニケーションでは、いざという時にどうしてもチームワークにほころびが出てしまう。
いざという時とは、まさにバレーのマッチポイントのような状況であり、アイコンタクトで全てを察するような域のコミュニケーションが必要となってくる。
そのような緊迫した場面では、メンバー同士の信頼関係が築けていなければ、ツーといえばカーというアイコンタクトなどできるはずがありません。
成果は1日では出ない。また偶然では出ない。
「泣き叫んで物を与えてくれる親がいたとしても、成果をくれる敵はいない。」
最高のパフォーマンスを発揮する組織マネジメント
想定する受講者:
ビジネスパーソンの方々
提供する価値・受講者へ伝えたい事:
バレー関係者も驚いた男子バレーの北京五輪出場。選手のモチベーションを支えたキーワードは「オリンピックに出れば人生が変わる」だった。凄まじい量の練習や、日本代表としての誇りを持つことを選手に要求するなど、強烈なリーダーシップで日本代表をフィジカル、メンタル面ともに鍛え上げ、戦う集団へと変えていった。
また理論派でも知られ、チームが目標を達成するまでのプロセスを明確にするなど、 選手・スタッフ全員が同じ方向に向かって進むことに注力した。スポーツ指導者のみならず、人を導く人すべてに知って欲しい植田流の組織マネジメント論をお伝えします。
書籍
『徹底マネジメント』(総合法令出版 2009年)

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